夏草の線路

ふと思い出した話だけど。以前仕事で、いろんな会社から全員各地からの出張組、といった混成チームで寮を構えて、数ヶ月間共同生活をしていた時期があって。
その中の一人がうんこを流し忘れるのよ。普通の一軒家を借りて寮に仕立てて、最大時で5人住んでたのかな。みんなで部屋を割り当てて、キッチンや風呂やトイレは共同で。みんな仲良くて、ひとつ屋根の下、普通に家族みたいに暮らしてた。楽しかったなあ。高校出て以降ほぼずっと一人暮らしだったから、家に帰ると誰かがいるって感覚、久しく忘れてたのを思い出せた幸せな日々だった。帰ってもいるのはおっさんだけどな。



その中の一人がうんこを流し忘れるのよ。
もうさ、家族会議ですよ。
そいつはメンバー最年少で、大学院を出たばっかりの聡明な若い子で。ほんと一生懸命な子で、もう俺らおじさん連中はみんなして可愛がっててさ、だからおじさんたちはそいつの将来が心配なわけですよ。うんこ流し忘れって。どうやってこの先生きのこっていくんだよ。うんこ流し忘れって。そんなわけでみんなして本人に問い詰めるわけさ。どういうことだよと。うんこ流し忘れるってどういうことだよと。
ちょっと冷静になって考えてみてよ。トイレ行くじゃない。うんこあるじゃない。そのときのがっかり感を冷静になって考えてみてよ。
しかし、家族会議での侃々諤々にもかかわらず、原因は当人にも全くわからないと。うんこは流すものだという認識は当然にしてある、あるのだが、しかしなぜうんこを流し忘れてしまうのか、自分でも頓と見当がつかぬ、と。問題は暗礁に乗り上げ、結局、解決の糸口さえ見つからぬままいつしか我々は仕事を成し遂げ、チームは解散となった。



あれから数年、私はふと気付いたことがある。世の中には赤外線センサーを用いて自動で流してくれるトイレがあるということに。
一般家庭まではあまり普及していないだろうが、商業施設や公共の場ではそれなりに見かけるでしょう? 用を足して腰を浮かすと、それを感知して勝手に流れるのである。
そういえば彼は言っていたのだ、ここに来る前は会社の寮にいた、と。ちなみに彼の所属は東証一部の超一流企業である。
その寮のトイレがこの“自動で流れるトイレ”だったとしたら、全ての説明がつくのではないか。流さずとも事が済む、そんな環境にいたのだとしたら。それが意識せずに習慣になっていたとしたら。これが、あの事件の真相だったのではないだろうか。
うんこを流し忘れる、たかがそんな出来事に、マンマシンインターフェイスの恐ろしいエラーを見た気がしたのだ。



最近、私には悩みがある。時々利用するトイレのセンサーが甘く、尻を拭おうと腰を半浮きにすると、その時点でセンサーが感知して流れてしまうのだ。拭い終わった紙をトイレに落とすと、流れ終わったばかりの清廉な水に我の汚れた紙が浮くばかり。この紙を流すためだけにもう一度贅沢に水を流すのか、それとも見ないふりで立ち去るべきか。
実際そのトイレは、私と同じ思いがあるのだろう、流されずに残った紙だけを見る機会がたまにあるのである。それを見る度にあいつを思い出すのです。